平成20年度 巻頭エッセイ

=執筆者プロフィール=

   ■丸岡 一直(まるおか かずなお)

昭和26年4月20日生まれ。49年北羽新報社入社、二ツ井支局員報道部長等歴任。平成5年8月〜18年3月旧二ツ井町(現能代市)町長(連続4期)。平成17年6月〜18年3月本会副会長。早大政経学部卒。

□平成21年 1月号 「百年の大計」いまこそ
□平成20年10月号  いつまでシンポジウム
□平成20年 7月号 「本気人間」はどこに







■■■ 「百年の大計」いまこそ ■■■
(平成21年 1月号)

 いままでのような気持ちではいられない。
 多くの方が、そう意を決して新年を迎えたことでしょう。

 昨年、東北の県庁所在地に2、3泊する旅を繰り返しました。2度、3度と重なると、おぼろげながら、その街の輪郭が浮かび上がってきます。
 地方疲弊の時代ですから、どこも大枠としては勢いがない。しかし、針の穴をうがつような必死さで突破口を見い出そうとする動きは、どこでも見ることができました。
 行政が長年にわたって手がけてきたまちづくりも完成期に入り、都市のインフラが整いつつある。
 まちづくりの基盤が整い、それを利用してよみがえろうとする民の熱意がかみ合って、やがて花開くマグマがたまりつつある。青森で、盛岡で、山形で、福島で、そんな予感を持ちました。

 ひるがえってわが郷里は、と思わずにはいられません。
 好、不況の浮き沈みではなく、将来のあるべき姿を描き、貫いてきた施策、思想はあったのか。一体、だれが、いつ、どのように発想して(または、発想がなくて)いまの姿があるのか。
 おそろしい話ですが、冷静に、かつ、勇気を持って振り返れば、果たして、われわれは本当の「政治」を手にしたことがあったのかと、考え込んでしまいます。
 この混迷した時代に居合わせて思いをめぐらせれば、政治とは、詰まるところ、「百年の大計」を持ち、世代を超えてその思想を共有しながら、人々が安寧に暮らせる状態をつくり上げていく営み、ということになるでしょうか。
 われわれに、それがあったか、なかったか。それを持とうとしたか、しなかったのか。

 百年に一度の危機。いささか踊らされている感がなきにしもあらずですが、内外ともに重大な岐路に立って、だれもが否応なしに判断を下さなければならない。そのときを迎えました。
 「百年の大計」を持っているのはだれなのか。いまこそ、判断の底にその気持ちを置きたいものだと思います。

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■■■ いつまでシンポジウム ■■■
(平成20年10月号)

 新聞やテレビを見ていると、相変わらずシンポジウムが盛んですね。何とかシンポジウム、何とか協議会。多くは行政機関によるものです。

 著名(でないこともあるが)な講師による基調講演。それに基づくパネルディスカッション。大方、何かの補助金によるものでしょうけど、ときに何百万円の費用を投じながら、結論も、方向性すらはっきりしない。事後のフォローもなく、それっきりのことが多いように見受けます。
 この風景。5年前、10年前。いや、20年、30年前にもありましたよね。テーマは置き去りにされ、時間だけが無駄に過ぎてしまった。いまなお深刻なテーマが多いことを思うと、失ったものの大きさがわかります。停滞著しい秋田県の現状とも、無縁ではないでしょう。

 ひとつのシンポジウムがきっかけとなって人々の関心が集まり、力を結集してその改善や前進のために知恵を絞る。行動に移す。結果、問題の解決や改善の実があがる。
 そのような展開を、本当は求めたはずですが、そうならないままいつしか当初の熱気が失せ、形だけが残った。そう思えないでもありません。前回も触れた、「本気度」にかかわるところでしょう。

 もう一つ。
 決断の先送りという側面はないでしょうか。
 「広く市民の声を聞いてすすめたい」という話はきれいに聞こえますが、重要なテーマであるほど、行政側としてはとっくに方向性なり構想を持っていてしかるべきところ。
 それが、いつまでも「市民の声」にすがり続けるというのは、要するに決断しない、方向性を出さない、結論を先送りする。その隠れみの、もしくはお茶濁しなのではないか、そんな声も聞こえてきます。

 会議が踊るのは結構だけれど、気付いたら「天の時」を失ってしまっていた。
 その繰り返しこそ、それっきりにしてもらいたいものです。

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■■■ 「本気人間」はどこに ■■■
(平成20年 7月号)

 人口減。過疎化。高齢化。
 農業不振。産業低迷。雇用悪化。
 本県を襲う深刻な課題になかなか突破口が見えません。
 「そのうちどうにかなるさ」と楽観的に構えていた人でさえ、事態が差し迫っていることに驚き、ひそかに青ざめていることでしょう。

 実は悪い話ばかりではないのですよね。
 安全・安心の食糧生産が時代の大テーマです。みどり・自然を慕う国民多数の目が、北東北へと注がれています。森林はCO2吸収の有力手段であり、バイオマス活用が現実のテーマとなってきました。日本海時代を見据え、自動車産業の東北シフトも始まっています。
 時代の風が、本県への「追い風」になっていることは間違いありません。
 しかし、課題の解決と時代の追い風が容易に結び付かない。そこにまた深刻さがありそうです。

 行政を離れてみると、意外に思うことがあります。行政の場で身構え、必死に思い続けていたことが、人々に混じってみると、さほど差し迫った課題にはなっていない。状況認識やその対処を含めて、「本気な人」がなかなかいませんね。近頃、東北各地を訪ねる機会がありましたが、大きい落差を感じます。
 横から見る行政職員も同様で、首長の意を汲み、少しでも事態の改善、解決に導こうというよりは、前例踏襲型に終始していることが多い。結果として、住民の「本気」をそいでしまっている。そもそも、職員自体が「本気」でないのか。リーダー格たるべき、大きい街ほどその傾向です。
 首長諸賢が日々、悪戦苦闘していることはよくわかりますし、敬意を表してやみませんが、いかに華やかなプロジェクトも、携わる人々が本気でなければおぼつかない。

 ここは原点に立ち返り、
 「本気人間」を探す。
 いなければ育てる。一度そういうリセットをしなければ、いままでと同じ時間が流れてしまうのではないか。そう危惧しています。
 もちろん、自省を込めてのことですが。

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