平成16年度 町村長随想

■平成16年 5月号 阿仁町 濱田  章 町長
■平成16年 6月号 仙北町 伊藤  稔 町長
■平成16年 7月号 合川町 佐藤 修助 町長
■平成16年 8月号 鳥海町 佐藤 源一 町長
■平成16年 9月号 琴丘町 工藤喜久男 町長
■平成16年10月号 鷹巣町 岸部  陞 町長
■平成16年11月号 比内町 佐藤賢一郎 町長
■平成16年12月号 象潟町 横山 忠長 町長
■平成17年 2月号 森吉町 近藤健一郎 町長


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平成16年5月号 「老人介護と両隣」
阿仁町  濱田 章  町長
(平成13年7月〜平成17年3月)
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 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、現在のわが阿仁町の高齢化率は41.0%で秋田県一である。

 昨年の七月頃、一通の手紙が町長室に配達された。差出人を見ても思い当たらない。
 早速封を切ってみた。見ると自分の奥さんの措置についての訴えであった。
 今から二年前に奥さんが中風で倒れて入院し、退院以来介護を続けてきたものの、自分も足腰が痛み、これ以上の介護はできないため、施設に入所させて欲しいとの内容であった。

 気に掛かって仕事の合間に車を走らせた。戸数十数戸の小集落である。滑りの悪い玄関戸を開けて声を掛けたところ、八十歳代半ば近くと思われる老人が現れた。私の顔を見て「おや町長さん、わざわざ来てけだしか。まず一寸上がって下さい。」との言葉で、居間に入った。お茶を出すのを断って、話しを切り出してもらった。
 「手紙にも書いだとおり、俺の嬶中風に当たって、今まで俺が三度に三度飯を食わせ、介護してきたが、去年から俺も足が悪くて歩くのも大変になった。ヘルパーも来てくれるし、助かってはいるども、俺も段々年寄ってきて、自分で自分の身も余してきた。この頃は嬶に、夜中に何度も起こされるため、とても我慢が出来なくなって、これどごブッ殺して、俺も死んだら、なんぼ楽だべが、と思ったりもした。んだども嬶の寝ている顔(つら)を見ていると、永い間一緒に苦労してきた仲だもの、それも出来ねくて、町長さんさ手紙書いたのだす。」と言って、ボロっと出た涙を皺だらけの手で拭いた。

                   ◇   ◇   ◇

 どこの町村でも、在宅福祉ネットワークが形成され、地域民生児童委員、心配ごと相談員、行政相談員、居宅介護支援センターなどが整備され、各集落自治会、各種福祉ボランティアと供に、家族介護交流事業、ヘルパー派遣、配食サービス、障害者居宅支援など地域福祉に汗を流している。
 わが家でも、家内の母親である百四歳のおばあちゃんがいる。わが家に来てもらって約四十年、私の父母の介護は全部引き受けてもらい、九十五歳頃までは家事一切を切り盛りしていた。
 でも百歳過ぎたら年々弱くなり、そのため家内は七十代になって、本格的に家事と介護に精を出すようになった。
 私が町長になってからは、家内も朝の準備が忙しく、おばあちゃんの起床、着衣、洗顔は、私の日課になった。
 日中は、隣近所の人たちが「がっこ・煮付け」など手作りの料理持参で来てくれる。そうなると、おばあちゃんの表情が生き生きとなる。若い時代の山菜取り、農作業、子育ての苦労話に話しがはずむ。

 高齢化社会の進展と供に、行政の果たす役割は益々大きくなる。それと同時に、向こう三軒両隣の地域ぐるみのサポート体制が必須の条件となるのではないだろうか。


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平成16年6月号 「温故知新」
仙北町  伊藤 稔  町長
(平成14年6月〜平成17年3月)
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 国指定史跡 払田柵(ほったのさく)跡や、縄文の遮光器土偶、弥生の水田遺溝が出土した星宮遺跡があるわが仙北町から、今年の二月、新たに「池田氏庭園」が国の名勝指定を受けた。
 大曲の市街にほど近い町の南西部。広々とした田園風景の中に、木立が繁り緑濃い杜のように見える。それが明治から昭和にかけて、県内一の地主として、山形の本間家、宮城の斉藤家と並び東北三大地主として知られた池田家の御館である。
 明治時代の区画整理で家紋の亀甲をかたちどり、六角形に石積みの堀を囲した、四・二ヘクタールの広さがある。
 大地主最盛期の回遊観賞式庭園がほぼ完全に残り、庭内をめぐる流水や滝、大きな池の中に据えられた雪見灯龍は、笠の径が四メートルを超え畳八帖分はあるという。
 秋田市千秋公園や日本各地の造園を手がけ、近代造園の祖と名を馳せた長岡安平が関わったとされている。
 築山や、流れと滝、池や花壇、それに茶室、露台、四阿などを配したほか家畜小屋、果樹園、菜園、プール、テニスコート、武道館、温室、雪室(ゆきむろ)のほか、県内最初とされる鉄筋コンクリート造りで、私設の公開図書館がある。
 家族親類のほか訪れる人、地域に関わる行事や活動に開放し、農村の中で多面的な機能を果たしていた。
 家庭的、地域的庭園としてすでに近代造園の理念を実現した貴重な作品といわれる。

 池田家は、庭園づくりにもみられるように、持てる富を地域に還元し、人々に役立たせるため数多くの事業を興し人々を支援した記録がある。
 乾田馬耕化と水路の布設など、大規模な農地改良、学校、療養衛生施設、道路、公共施設の水道給水、育成基金や共済制度の創設などのほか、全国から著名な指導者を招き農業技術、武道の普及、青少年の育成や学校給食など、莫大な私財を投じながら地域の福祉と振興発展に力を尽くし、大きく貢献している。

 池田家十一代当主、文八郎氏の逸事に、庭談義する客人たちに「東山(池田家から見て東方の奥羽山脈)之れ築山
 河川之れ泉水 家を遶(めぐ)れる田面に黄金の波打れる 此れ吾が無上の庭園なりと以って其農事に勤勵して志の大なるを知るに足るべし」と言い、皆、当主の郷土を愛する心と度量の大きさに驚いたという。
 また高級役人の一行が農事視察のため池田家に立ち寄り、宴席で盆栽評議になった。当主は一株の稲を植えた鉢を持ち「吾に一つの鉢植えあり 恐らく之れ一等の位置を占むものなるべし」「之れ国を富ます寶草なり」これに皆、感服したという話が伝わっている。

 池田家の蔵には往時の貴重な写真や日誌、書簡などが数多く残っている。
 古(いにしえ)から米作りが人々の暮らしを支え、文化を育み積み上げてきたこの地域の大地主として、広く政治、経済、文化教育に大きな影響力を持った池田家の理念とその時代の証人として貴重な文化遺産である。
「池田氏庭園」は当地域だけではなく、日本の近代史の上からも大切なものと評価されたものと思う。
 私たちの今の世の礎とも言える払田柵跡や星宮遺跡、「池田氏庭園」など先人の遺徳や、遺産に触れることで、その技術や、人々が想いめざしたものを学び、少しでも吸収できたらと思う。
 貴重な文化財が、永く大切に保存・継承され、後世の人々に歴史の架け橋として活かされるためにも 

 「ふるきをたずね新しきを知る」

ことを心に留め、なお貴重な文化財が往時の姿と輝きがよみがえるための調査研究と保存整備が一層進められることを願っている。

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平成16年7月号 「あじさいの花の季節に」
合川町  佐藤 修助  町長
(平成15年1月〜平成17年3月)
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 鷹巣町、森吉町、阿仁町と当町の四町による合併協議が進んでいる。合併協議の広報紙に毎月、地域の花が紹介されており、七月号では、森吉山のイワカガミとチングルマの群落が掲載されていた。
 森吉山の花園の爽やかな空気が、町の境を越えて当町にも届けられた。こうしたお互いの魅力を共有することから、地域の元気が生まれるものと期待している。

 当町翠雲(すいうん)公園のあじさいが、見ごろを迎えようとしている。七月第三日曜日が「あじさいまつり」の日。――― あじさいは、花期が長く、雨天でも風情のある花とされているが、地区の皆さん方から「今年は、花が早い」と聞かされると、その日の花の様子が気にかかる。この稿が、皆様のお手元に届く頃には、まつりは終わっているが、雲のように重なるあじさいの道を散策コースとして、ぜひおススメしたい。   
 この季節、当町の「あじさい」と阿仁町の「しょうぶ」を見たいという問い合わせも少なくないと聞く。圏域の観光を「点から線にしてほしい」という要請は多く「花」を起点にしたルートづくりにも期待したい。この際、合併協議には加わっていない「コアニチドリ」(=上小阿仁村)も、郡境を越えた「かたくり」(=西木村)も仲間にしてしまいたい。

 森吉山ゴンドラの通年利用が広く着目されている状況は、まだまだこの地域には、人々を引き付ける可能性が秘められていることの表れと伺える。

 県立北欧の杜公園を訪ねると、その季節によって特色ある花を楽しむことができる。周囲の環境と調和した植栽に気配りがあるようで、「自然」を楽しみたい方々にも違和感は無いようだ。六月下旬、キャンプ場の林間には「ニッコウキスゲ」が咲いていて、池沼の輝きが涼しさをたたえていた。
 園内には町の第三セクターの「おにぎり屋さん」があり、売店の朝採りの野菜が並んでいて、そのままサラダにしたらおいしいだろうと思った。
 臨空港リゾート公園として立地された県立北欧の杜公園の整備は、未だ構想半ばではあろうが、芝生広場の壮大な広がりを中心に、遊具広場、オートキャンプ広場、水辺の散策道などがあり、健康的な時間を過ごしたいという方々に喜ばれている。休日は家族連れが多く、平日も、運転途中に立ち寄る人があり、かなり遠方から遠足などの来園もあるそうだ。

今のところ「静かな公園」「お金のかからない公園」が、この公園の魅力の一つのようで、町の経済循環への結びつきは多くを望めないが、町の情報発信の広場としての期待は大きい。

 翠雲公園の一角に山村留学施設「まとび学園」がある。地域の協力のおかげで、農家体験や自然の中での活動が好評で、遠く沖縄県からの受け入れもあった。特に、夏休みと冬休みの短期留学は好評で、繰り返し訪れて「家族関係」が育っているケースもあるそうだ。

こうした心の絆を、十九年国体でこの地域を訪れる人たちと築きたいと願っている。さらに二度三度と足を運び、あるいは、二人三人と誘いの声をかけていただけならば、この地域に確実に元気を運んでくれることだろう。

 「イワカガミ」「チングルマ」「あじさい」「しょうぶ」「ニッコウキスゲ」―――― みずみずしい花の季節に、この地域の豊かな自然から、心を一つにした地域づくりに思いを巡らせている。

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平成16年8月号 「鳥海の恵みに思う」
鳥海町  佐藤 源一  町長
(平成14年9月〜平成17年3月)
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 六月二十五日から七泊八日の日程で、私は鳥海町議会議長や鳥海町国際交流協会(松田訓会長)会員らとともに、中華人民共和国の甘粛省永登県と青海省互助県を訪問した。これまで本町では、秋田県と甘粛省、秋田市と同省蘭州市との友好都市交流などを通して来県した農業研修生ら十人余りが、町内の農家で実務経験を積んでいる。
 約六カ月間にわたって農家へ滞在し、生活を共にしながら、農業だけでなく日本の生活習慣や文化などを学んだ研修生たちは、帰国後も本町を「第二の故郷」、農家を「日本の父さん、母さん」と呼び、慕ってくれている。今回の訪問は、彼らの働き掛けもあり、実現したものだ。

 実は平成十五年一月に、永登県県長李彦龍氏から年賀状と招聘状が届いていたのだが、その後中国で新型肺炎(SARS)が発生し、同国内での移動が制限されたことから、訪中できずにいた。しかし、今年に入って私と議長あてに、再度「農業や文化、教育分野で交流したい。SARSも収まったのでぜひ」との招聘状が届いたため、せっかくの好意を受けることにした。
 甘粛省は標高二三〇〇メートル、延べ四十五万平方キロメートルを超える広大な土地を抱え、二千五百六十二万人が暮らす中国北西部の交通と通信の要の地域である。我々が訪れた永登県は人口約五十万人。主要産業は金属産業や石油化学、繊維産業、農業となっている。年間雨量は三百ミリ程度で、蘭州市周辺は以前から水がなく、昼夜の温度差も大きいため、作物がほとんど育たない地域であったという。確かに上空から見てもほとんど緑は見られず、茶色の地肌がむき出しになっていた。
 しかし、現在は長江上流から百三十キロメートルの用水路を造り、麦やゴマなどの野菜の栽培が可能となり、農業で三十五万人が生活できるようになった。この水路工事のうち、技術的に最も難しい五十キロメートルに及ぶトンネル工事は、日本の大手建設会社・褐F谷組(本社・東京都新宿区)が担当し、成功を収めたという。永登県では同社の高い技術力と日本の協力に対して深く感謝しており、同社を神様のように崇拝されていることが印象的だった。

 水路の完成によって麦や牧草も作れるようになったことから、永登県では今後、十万頭規模で乳牛や肉牛を飼育する計画で、近代的な畜舎などの施設が建設されていた。しかし、技術者は不足しているとのことで研修生の受け入れ要請を受けたが、「年に一人ぐらいなら可能ではないか」と返答して来た。

 永登県では現在、不毛の大地に緑を取り戻したいと、広大な山に苗木を植え、スプリンクラーと人力で散水しながら育てていた。日本では当たり前の緑が、中国ではいかに貴重なものかを痛感させられた。中国は元々緑がなかったのではなく、長い歴史の中で幾度となく繰り返された戦争によって焼失したものだ。失われた緑の回復には、大変な時間と労力、経費がかかる。今ある自然を壊すようなことは決してしてはならないと誓いを新たにすると同時に、本当に日本は幸せな国だと感じた。

 鳥海山ろくに位置する鳥海町では、鳥海山の伏流水を飲料水として全家庭に引き込んでいるほか、水田用水としても活用している。豊かな自然ときれいな水で育てた「鳥海町産あきたこまち」は、JA秋田しんせい管内で唯一、産地指定で売買されている。また、本町は観光面でも、鳥海山とブナの原生林、法体の滝や玉田渓谷などの景勝地、温泉などが観光専門誌で「北の白神山地に勝るとも劣らない南の鳥海山」「東北最後の穴場」などと紹介され、多くの方々に訪れていただいている。これも長い年月をかけて形成された美しい自然のおかげであり、このかけがえのない自然を大切に守り、次代に引き継いで行くことが我々の永遠の責務であると感じている。

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平成16年9月号 「つれづれなるままに」
琴丘町  工藤 喜久男  町長
(平成15年4月〜平成18年3月)
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 平成15年4月30日に就任して1年4ヶ月あまり、新体育館もほぼ完成し11月にこけら落としを計画しております。4大プロジェクトも完成しこれからはその活用が求められます。そのうちのひとつ、梅の里づくりも平成6年ごろから植栽を始め平成9年には県の植樹祭がおこなわれ、現在個人を含め52haで栽培されております。ことしは約30トンの収穫があり、これから木の充実に伴い収穫量の増大が見込まれます。それと平行して品質の確保と販路拡大のために新たな加工品の研究も急務です。

 7月26日から29日まで郡町村会で韓国に視察研修に行ってきました。百日紅(さるすべり)と槿(むくげ)が満開でした。槿は韓国の国花で“無窮花(ムグンファ)”として有名です。咲いては散り咲いては散るのが辛抱強いと好まれているようです。逆に日本では朝咲いて夕方には散るので、“槿花一朝の夢”などと儚いことにたとえられています。前々回来るまで在った国立博物館(旧朝鮮総督府)は取り壊され、興礼門が復元されていました。今年4月1日開業の新幹線(KTX)にも東大邱まで乗りました。ソウルから光明までは在来線を走るので、スピードは速くありません。光明からはスピードを上げて最高速度の表示は300キロ。グリーン席だったせいかゆったりで揺れも余り感じません。ただ日本と同じようにトンネルが多かった気がします。18、9年前にもセマウル号に乗りましたが、その頃に比べると山の緑が濃くまた多くなったようです。慶州のナザレ園を訪問したところ秋田県協和町出身のかたが入居なされていてびっくり。皆さんこぎれいにしており、なんだか一同ほっとした気持ちでした。

 さて私の趣味は畑仕事と読書そしてたまのゴルフです。自宅の裏の畑にサクランボ4本、スモモ2本、梨3本、ぶどう5本、柿4本、桃3本、梅2本、栗3本、りんご4本、ブルーベリー2本を植えています。残りの3畝で野菜作りを楽しんでいます。一汗かいてシャワーを浴びた後のビールは最高です。夏痩せではなく夏太りして困っています。年末は地元のそば粉で年一回の蕎麦を打ち、年越し蕎麦を食べるのがここ10年来の行事です。

 山本夏彦が好きでした。超辛口のコラムのファンでした。平成14年胃がんの為亡くなられましたが、それまで“週刊新潮”と月刊誌“諸君”と“文芸春秋”の彼のコラムが楽しみでした。原稿を削りに削ってときには何を言わんとしているのかわからないこともありました。その数あるコラムの中で私が好きだったのは「何用あって月世界へ」と「出来てしまったものは出来ない昔には戻れない」です。今は文庫本で再読を楽しんでいます。

 昨年役場に配布される刊行物を読んでいたら、群馬県上野村村長の黒澤さんのインタビューが載っていました。昭和60年8月12日に起きた、あの日航機墜落事故現場の御巣鷹山のある村の村長です。海軍ゼロ戦パイロットの生き残りで終戦時は海軍少佐。昭和40年から現在まで村長を務めています。今年の慰霊祭で引退を表明しました。彼は事故に関するインタビューの中で一番大変だったのは、捜索と遺体収容じゃなくその後の処置だったと言っています。“行路病人及び行路死亡人取扱法”により、身元が確認できなかった328人の葬儀、永代供養を村で行わなければならないのだそうです。共同墓地の位置、そこまでの道路工事、保安林解除、その費用と大変難儀をしたそうです。そして最後に次のような言葉を残しています。“陰徳を積んで陽報を求めず”。私は大変感動しました。古代中国の淮南子に出てくる言葉は、“陰徳あれば必ず陽報あり”ということわざです。そんなことわざをちょっと変えた彼の言葉を私の座右の銘にしてこれから生きていこうと思っております。“陰徳を積んで陽報を求めず”。

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平成16年10月号 「趣味有休」
鷹巣町  岸部 陞  町長
(平成15年5月〜平成17年3月〔鷹巣町長〕)
(平成17年4月〜平成21年4月〔北秋田市長〕)

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 「趣味悠々」という人気のテレビ番組がありますが、私の場合は表題のような状況にあります。多趣味を自負しております。仕事の忙しい時ほど熱中し、アイデアもひらめき、進歩も速いのです。
 ところが、昨年突然町長なるものを拝命、世の中全て知ってなければならない幅広い知識、24時間拘束状態。以前の仕事では、知識の蓄積が多忙さをカバーし、時間的余裕を生み出し、趣味も楽しむ余裕もあったのです。首長職に未熟な小生にとって、まだまだ趣味を楽しむ余裕などありません。先輩の首長さんが言ってました。「誰か過労死してくれると休みも取りやすくなるんだが」(古い方からお願いします)

 ところで小生の趣味ですが、人間の行為には、肉体的と精神的、運動と思考……「スポーツとアート」と考えが至り、せっかくの人生を精一杯エンジョイするには、両者とも趣味とすべし、と言うのが多趣味のゆえんであります。

スキー

 大学に入って2年目、お古の合板スキーを先輩から頂戴し、弘前から大鰐へ熱心に通い、2シーズン目、全日本スキー連盟1級。卒業後、医局に入り忙しく、ゲレンデへは1シーズン2、3遍。子供が学校でスキーをするようになり再開。定年後は存分に楽しめる、とカービングスキーを新調したとたん首長を拝命することとなり、物置に立てかけたまま3シーズン目を迎えます。

ダイビング

 山育ちの私にとって青く広大な海原は、神秘さとともにいつでも受け入れてくれるあこがれの場所。学生時代、夏の休日は深浦へ素潜りに。昭和39年インターン、放射線科の教授がスキュバダイビング用器材と空気を充填するコンプレッサーまで持っていると伺い、同好の士ということで浅虫で手解きを受ける。その後、日本潜水会指導員、アメリカPADIインストラクター、全日本潜水連盟常任理事、安全対策協会々長。四月一杯までスキー、五月の連休からダイビング。ホームベースは岩館。沖縄を含め海外でも潜りましたが、首長になってからは2年間で1回だけ。

写真

 水中写真が主で、カレンダーにも採用。陸上では風景写真をパネルに仕上げ、旅の思い出とともに眺めるのが楽しみ。カメラはニコンF3・ハッセルブラッド2台、ワイドな風景が好きで903SWCを重宝してきました。リンホフも交換レンズ3本、時間をかけじっくり撮りたいが、今は時間的余裕もなく保管庫に眠ったまま。最近はミノルタTC―1を鞄に潜ませていますがチャンスがありません。

篆刻

 昭和55年、医学交流のため訪中。北京でお土産に石印材購入。ハンコ屋さんに手解きを受け石をほじくったら、なかなか出来がよいとのこと、展覧会に出品、特選。おだてられて矢継ぎ早に出展。現在、日本篆刻作家協会委員、日本臨書摸刻展審査会員、秋田県篆刻刻字協会会長。

楽器

 バイオリン 能代高校時代、部活動で手解きを受け、22年後、42の手習いに子供と一緒にレッスン再開。2年後鷹巣室内合奏団結成、団長。第一バイオリン。県内の楽友達とシューベルト「交響曲未完成」、シベリウス「フィンランデア」、ベートーベン交響曲第五番「運命」を演奏したのが思い出。現在、町内に団員がいなく休止状態。

 ペダルスチールギター 大学時代、ハワイアンバンドでスチールギター担当、バンドマスター。ラジオで聴いたペダルへスチールの音色に魅せられ、2年前発注、定年後の楽しみにしていたのですが、今はインテリアと化しています。


 かように、公僕として滅私奉公一筋、表題の「趣味有休」の状況にあります。


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平成16年11月号 「変革の時代に生かされて」
比内町  佐藤 賢一郎  町長
(平成16年3月〜平成17年6月)
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 現在、全国のほとんどの町村長は合併問題の渦中におかれ、厳しい課題に直面して苦慮しておられる方も多いことと思います。自分の町の方向が決定し一息つけたとしても、その後の厳しい財政運営を考えるとき、やはり相当の緊張感をもって行政課題に取り組んでおられることでしょう。

 私も昨年12月、全く予期していなかったのですが、この激動の渦に巻き込まれることになってしまいました。町議一期目の新人でしたが、仲間と一緒に「財政内容を示さないまま自立で行こうとすることことは危険であって、内容を示したうえで住民投票をするべきである」と主張し続けているうちに、町長選挙に立候補しなければならなくなってしまいました。

 合併反対が多い中で大ベテランの現職に対抗するということは、全く無謀と思われる行動であったと思います。 そんな状況の中で私の支えとなったものは「その友のために命を捨てる、これより大いなる愛はない」という言葉でした。自分のことは余り考えずに、何が町民のためになるのかを考えようと、そこに思いを集中しました。

 そして「町民の幸せを守る会」を仲間の議員の方々とともに立ち上げて町民への働き掛けを始めました。その期間は1月から2月までのたった2カ月間で、すぐに選挙を迎えました。普段のときであれば、こんな戦い方で町長選挙戦を勝利することは無理と思います。でも、合併問題はあまりに町民にとって身近な課題であったので、ひたむきに町民の心に訴えていく私たちの方法も徐々に理解されるようになり、最後には大逆転で勝利することができました。  

 このようにして変革の第一歩を踏み出したのです。
当選後の4月から6月にかけては、合併を選択するかどうかの住民投票を実現するための歩みでした。結果は、賛成3380票、反対3334票で、46票差の賛成多数という結果でした。

 この結果を受けて町の流れが大きく変わりました。特に議会においては今までの合併反対から圧倒的多数による合併推進へと変わり、政治は生き物であることをつくづくと教えられました。そして歴史を変え得る時代の流れには十分な配慮が必要であることを痛感させられました。

 実は2年ほど前に同じ思いをさせられたことがありました。私は4年間の議員経験しかないのですが、その短い期間に平成12年と13年に韓国と中国に海外議員研修に行くことができました。特に中国の北京に行ったとき、そこで実施されている近代化の規模と勢いには本当に驚かされました。これから世界の歴史を動かすであろう中国の実像に触れたとき、この時代の流れを十分に尊重することの大切さを実感して日本に戻りました。地方自治に携わる者としても時代を悟ることは、やはり大切なことと言えるでしょう。

 7月から11月までは、合併協議のとりまとめ時期です。現在は、11月末の調印に向けて1市2町の関係者全員で精いっぱいの頑張りを続けております。最後に難しい課題が残りましたが、お互いに相手の立場を思いやることができれば、合意点は必ず見つかると信じております。

 私たちは、合併による新市建設の中で財政再建に取り組んでいきますが、同時に地域づくりも平行して進めるべき最も大切な課題であると考えております。私の地元には地域づくりのために活発に活動している「大葛の将来を考える会」があります。いま町内のほかの地域にも「地域づくり協議会」を立ち上げようという働き掛けを始めております。町民の心には、比内地鶏に代表される地場産業を大切に思う気持ちとともに、自分たちの地域を良くしたいという切なる願いがあります。こういう町民の気持ちにこたえることこそ、地方自治の大きな責務と言えるでしょう。

 終わりに、今は厳しい時代であるとはいえ、変革の時代に生かされていることを感謝の気持ちで受け入れ、ときには趣味の囲碁や英会話でリラックスしながら、微力ながら住民のために精いっぱい頑張りたいと思います。

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平成16年12月号 「災害に強い町づくり」
象潟町  横山 忠長  町長
(平成16年6月〜平成17年9月〔象潟町長〕)
(平成17年10月〜現在〔にかほ市長〕)

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 今年は、記録的な台風の襲来、そして、新潟県中越地震と、全国的に大きな災害が発生した。 亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災された皆さんにはお見舞い申し上げ、一日も早い復興を願っている。

 本町でも度重なる台風の襲来で大きな被害を受けた。
 特に、八月二十日の台風十五号は、これまで経験したことのない高潮で、海岸護岸の決壊や護岸の越波により、住宅の床上浸水や漁船の転覆などの被害が発生した。
 特に、成長過程にあった水稲は、強風に運ばれた海水により穂が枯れ、八割を超える減収となった。が、人的な被害がなかったことに安堵している。
 このような自然の力には、我々人間は、無力である。

 さて、行政の責任者になって約五ヶ月、地震や津波などの自然災害に対して、改めて考えてみた。

 かつて象潟は、潟に島々が浮かぶ景勝地で、宮城県の松島と並び称されていた。
 しかし、今から二百年前の西暦一八〇四年の大地震で約二メートル地盤が隆起し陸地となった。市街地の多くは、海抜〇メートル地帯で、津波や高潮に対して、弱い市街地構造にある。

 これまで、日本海には大きな津波は発生しないと言われてきた。が、一九八三年の日本海中部地震では、津波により多くの尊い人命が失われ、大きな被害が発生した。
 今、日本海には地震の空白地帯があると言われている。

 本町では、地震による津波の発生が脅威で、その対策には、海岸施設の強化が急務であるが、県事業での整備スピードは遅い。
 特に河口付近は、波が増幅しやすい地形のため、海が時化るたびに、河川の上流部では住宅などの床下浸水などがたびたび発生する。
 十数年来、施設の強化を要望しているものの、国の所管とする海岸は農林水産省、河川は国土交通省と、所管に係る調整が整わず、波の遡上防止対策は、依然として具体化されていない。
 「県民の生命と財産を守る」という強い信念で、国を説得し実現して欲しいものだ。

 さて、各種の災害では、被害を最小限に抑えるためにも、事前の対策が大切である。
 本町でも、各町内会に自主防災組織があるが、その活動には温度差がある。
 避難場所までの経路の明確化と徹底、被害を受けやすい高齢者や身障者の把握、そして、避難場所までの誘導と役割分担など、被害を最小限に抑えるためには、自主防災組織の果たす役割が大きい。
 そのためにも、日頃の活動が重要である。
 また、災害対策基本法に基づいた避難勧告も、各種の災害に応じた基準を決め、適切に勧告する体制の整備も必要である。
 そして、災害時では役場職員の迅速な行動が、被害状況の把握、住民の安全を確保するためにも重要である。
 それぞれの職員には、役割を明確にしたマニュアルがあるものの、人事異動による役割変更などで、浸透がいまひとつである。
 職員の意識改革と、一層の組織の強化が課題である。
 自然の力には太刀打ちできないものの、事前にできる対策の効果は大きい。

 行政の責任者として、これまでの対策などを検証し、課題を整理しながら町民と行政との『協働』を構築し、災害に強い『ふるさと』をつくって行きたいと思う日々である。

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9

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平成17年2月号 「『お太陽さん』と『お尊さん』」
森吉町  近藤 健一郎  町長
(平成16年11月〜平成17年3月)
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熱帯魚とカナリヤと犬

 町長に当選させていただいてから就任までの間に、「気晴らし」と「癒し」にと思い、以前から「いつかは飼おう」と思っていた犬を買ってしまいました。「買ってしまった」という表現は、テレビで有名な某コマーシャルのように犬と目が合ったことと、赤ちゃんながら親から離されて犬舎に置かれている気の毒さ故の衝動買いをしてしまったということです。そう言えば、長い選挙運動(正式には政治活動)期間中に、熱帯魚の飼育を復活したことや鳴き声に感動してカナリヤを飼(買)ったことも、やはり「気晴らし」と「癒し」を求めていたのかも知れません。
 熱帯魚やカナリヤと違い、人と馴れ合い、時には人であると勘違いする犬は、小型室内犬ということもあり、すぐに我が家の家族の一員となりました。

子からの父と母

 私がその犬を膝の上に抱いて撫でている時でした。小学5年の次男が「お父さん、撫でるの強くない? 僕今だから言うけれど、小さいときお父さんとお風呂に入って身体を洗ってもらった時、いつも痛かったんだからね」と言ったのです。多分その時は、子どもが幼稚園や小学低学年の頃なのでしょう。小さい身体、すべすべした肌、そして何よりもこの生命、子は宝、子を持って知る親の恩など、石鹸を付けたタオルで擦ってあげていた時に私が子に感じたこと、子から教えられたことなどが、今頃に言われた事に対する驚きとともに当時の思い出が瞬時に走馬燈のように蘇りました。
 子どもはこの事をずうと思っていて、いつかは私に話そうと思っていた事だったのでしょう。犬を撫でている時の親子の情況、そして、そこでの会話、私には子どもがとても愛おしく、言葉に言い表せない場面でありました。

「お太陽さん」と「お尊さん」

 東洋思想家の境野勝悟先生の講演では、古代から太陽のことを太陽が燃えている様子を言葉にして、「カカ」「カアカア」「カッカ」と言っていたそうです。江戸時代の職人たちは「うちのカカア」と言い、子ども達も古い言葉の「カカ」をとって、「うちのカカさま」と言うなど、今は「おかあさん」と言いますが、おかあさんの「カ」は太陽と言う意味なのだそうです。お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、しかも朝、昼、晩と食事を作ってくださって、私たちの命を育ててくださいます。私たちの身体を産んでくださいます。母親は太陽さんのように恵みの力によって私たちを世話してくれる。母親はまさに太陽さんそのものなのです。
 また、お父さんを「トウト」「トト」といい、妻や子ども達のために一生懸命外へ出て働いて、毎日毎日の糧、生活の糧を運んでくれる。家族に危害を与える賊が来ると追っ払ってくれる。「まあ、なんて尊いお方だ。やっぱり、太陽さんのように尊い人だ」ということで、おとうさんの「ト」は尊いという意味なのだそうです。

 「お太陽さん(おかあさん)」と「お尊さん(おとうさん)」。子ども達からこう呼ばれる私たち親は、太陽のように明るく、子ども達の生命の安全と養育のために汗かいてがんばる責務があるのです。

教育と社会と家庭

 子どもの虐待の記事は、新聞に掲載されない日はないほど毎日の新聞記事に見受けられます。
 わが子を虐待する事件には、耳目を疑うとともに、その子どもはどんなにさみしく、つらく、悲しかったかを思うと涙し、胸がつぶれる思いです。子どもが「お太陽さん(おかあさん)」と「お尊さん(おとうさん)」と慕う父や母から虐待されるのですから。

 私は、今一度親と子の関係、親や子のあるべき姿を考え、児童虐待に携わる人々や関係機関が互いに関係を密にし、虐待防止のための様々な施策を講ずる必要があると考えております。国や県レベルで法的に進められておりますが、やはり自分たち個々の地域において、教育、社会、家庭が一体的に取り組まなくてはならないと考えております。

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