平成21年度 町村長随想

■平成21年 4月号 三種町 佐藤 亮一 町長
■平成21年 4月号 八郎潟町 畠山 菊夫 町長
■平成21年 4月号 美郷町 松田 知己 町長


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平成21年4月号 「水道の大切さを思う」
三種町  佐藤 亮一  町長
(平成4年3月〜平成18年3月〔八竜町長〕)
(平成18年4月〜平成22年5月〔三種町長〕)

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 私の住む旧八竜地域は、簡水普及前は井戸水か川水を飲用していた。井戸水は良いが川水は水質に問題があったし、大雨の時は数日間も飲めなかった。赤痢など伝染病の発生もみられた。
 そんな中で大曲集落は良質な湧水が多く、国道7号線の東側に集中している。小学生の頃他集落へ行くのは楽しかったが、川水を飲むと形容しがたい味や臭いが苦痛だった。
 昭和20年代は貧しい時代だったから歩行者が多かった。炎天下を歩き続ける人達のために、どこの井戸も解放されていた。我が家の井戸にも小さなヒシャクを備えていて、見知らぬ人がおいしそうに水を飲む姿は、強く印象に残っている。
 しかし、井戸水は家まで届かないから、年中夕方になると天秤棒に水桶を下げ、井戸と台所の水瓶間を幾度も往復することになる。農作業を終えてからの水汲みは、井戸から遠い家ほど重労働になる。

 その状況を踏まえて昭和の大合併直後の昭和32年、鵜川、浜口両地区で簡水事業が始まり、翌33年に給水開始された時の喜びは大きかった。町史には「住民の間で夢のような出来事として受け止められた-」と記されている。水道は健康と文化をもたらし暮らしの姿を変えた。水源は全て地下水で賄うのも自慢であった。
 しかし、昭和58年の日本海中部地震は、水道にも大きな被害をもたらした。水源も管も損傷がひどく、断水と補修工事の繰り返しの中で、水道の大切さを再認識すると同時に、早期全面改修に向けた動きが高まった。
 幸いなことに国・県などの理解を得られて、平成に入ってから全面改修事業に着手し、平成10年度で完成した。それによって設備・水源など以前より安全面で大幅に強化され現在に至っている。

 さて、琴丘・山本・八竜の旧3町が合併して3年たった。
 以前から水質に難があった旧山本地域から、根強い改善要望があったことから、合併直後から事業に着手し、旧八竜地域に水質・水量共に優れた3本の井戸を掘り当てたことにより、今年3月末から旧山本地域の水道給水区全体に給水することになった。
 また、旧山本地域には水道未普及地区が残されているため、今後計画的に取り組んでいく方針でいる。
 近年、健康のため水の大切さが見直されているらしく、かつての清涼飲料水に代わってミネラルウォーターが、自販機のかなりのスペースを占めているのを見ても読み取れる。
 「人体の70%は水」との公共広告機構による広告が、目立ったことがあった。
 健康を守る水、水を守る水道との信念のもとに、水道を大切にしていきたい。


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平成21年4月号 「歴史を伝える」
八郎潟町  畠山 菊夫 町長
(平成20年9月〜現在)
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 八郎潟町に「浦城の歴史を伝える会」というNPO法人がある。地元の歴史を発掘する活動を、地道にかつ強力に進めている。当初、平成6年に数名のグループで立ち上げ、翌年に地域住民を対象に歴史と文化を後生に正しく伝承し、併せて、町おこしに寄与することを目的に、NPO法人として設立認証された会である。
 浦城跡は、かつて八郎湖の湖東部を治めた三浦氏の居城跡。三浦氏は11世紀後半、相模の国三浦郡三浦郷に発祥、源頼朝の挙兵から北条、上杉、武田などとかかわりあいを持ちながら、永禄10年(1567)秋田実季の幕下として浦城に入る。その浦城は、八郎潟町の背後、北東側を囲む森山(もりやま)から、八郎湖を望む高丘山(たかおかさん)になだらかに連なる鞍部に築城されていた。しかし三浦氏滅亡の後、天正16年(1588)朽ち果ててその痕跡を見ることもできなかった。

 近時、その後を追い、古文書などをたどりながらかつての城(屋敷跡?)を復元させようと追及しているのが、「浦城の歴史を伝える会」の面々である。そして、これまでは杉の原生林に等しかった山に道を切り開き、階段をつけ、急勾配の箇所にはロープを張り、大きな鐘を運び上げて鐘突き堂を再現し、標高240mの本丸跡に立派な御影石の碑をたてた。加えて途中の眺望のよい場所に八郎潟町から遠く八郎湖、大潟村、男鹿の山々を望む展望台も作ったのである。
 並大抵の苦労ではなかったと思われる。それらすべては会員たちによる無償の奉仕によるものであり、私が知るその面々には、地元の人々はもちろんのこと、歴史に詳しい元公民館長や異業種交流会(建築士、大工、石材屋、左官、医師)のメンバーなどで、このようなことが出来たのであろう。その極めつけは『浦城』という銘柄の酒まで造ったことだ。会員の一人である酒販店主のコンセプトにより、五城目町の福禄寿酒造が丹精込めて醸しあげた純米吟醸で、豊かな米の味を引き出したすばらしい酒である。

 雪が解けた今、再び城跡まで登った。そして道すがら頭を去来したものは、それらの人々が黙々と働いた姿であった。「あの人がこの鐘を担ぎ上げたのか…、あの人がこの櫓を組み、あの人たちが杉を切り倒し道をつけていったであろう…」、ということであった。
 先人達の歩いた跡が、こうしてまた明らかにされていくのであろう。
 5月23日(土)、6月27日(土)の両日、八郎潟町観光協会と浦城の歴史を伝える会では、『八郎湖畔の古城跡浦城と願人踊り』をテーマに、JR東日本八郎潟駅「駅からハイキング」を行う予定である。今後の活動が楽しみである。

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平成21年4月号 「魅力の引き出し」
美郷町  松田 知己  町長
(平成12年8月〜平成16年10月〔仙南村長〕)
(平成16年11月〜現在〔美郷町長〕)

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 先日、暇に任せてテレビをつけたら、一般の女性を化粧などで変身させる番組が流れていた。登場した女性は、豚骨ラーメンの本場、博多でラーメン店の店長を務めている、赤いタオルのはちまきが印象的な明るい女性だった。
 すっぴんで仕事をこなすというその女性は、確かにテレビでは化粧っけがなく、かえって素顔の魅力を感じたが、さすがテレビ、その分野で一流の方の手にかかった女性は違った形の魅力に変身した。改めて化粧の力とうものを実感した。

 そこでふと思い出した。かつて見た「近代写真の生みの親 木村伊兵衛と土門拳」展。そこでは両氏が撮影した著名人のポートレートも展示されていた。特に同じ被写体として女優高峰秀子を撮影した写真には、強い印象が残っている。同じ被写体でありながら、違った人間像を引き出している写真。ともに人間高峰秀子を切り取った写真からは、人には多くの魅力が隠されていることを改めて気付かされた。

 先のラーメン店店長の化粧前と化粧後、木村伊兵衛と土門拳が撮影した高峰秀子。ともに共通しているのは、たくさん持っている魅力の引き出し方である。化粧やファインダーは、違う魅力を引き出すための手法の違いである。そこではたと思い至った。そう、地域の魅力も同じだと。

 美郷町は現在合併5年目に入った。これまでは合併前のそれぞれの特徴を大切にしながら、まずはそれぞれがひとつの器、美郷町に馴染むことに配慮してきた。その結果、充分とは言わないまでも、「美郷意識」は確実に醸成されてきたと自負している。地域エゴに陥りやすい時間、最初のハードルをまずは無難に越えたと実感している。
 次のステップは、住み良いことを基本としながら、特色があって誇れる町にいかに成長していくかである。そのためには、美郷の魅力を自覚した上で、その引き出し方と表し方に努力しなければならない。化粧前と化粧後、あるいはファインダーの違いから見えてくる魅力の引き出し方と同様、いろんな手法で取り組まなければならない。
 現在、美郷町では清水など水環境の保全による町づくりを進めている。また、商工業振興として地販地消(地域で販売、地域で消費の意味の造語)に取り組み、「美郷たぬ中(たぬき中華の略)」や「美郷まんま」など地元の味を創出しながら町内交流の町づくりを進めている。さらに農業振興として友好都市の東京都大田区に「心を結ぶ安心美郷米」を流通させ、農作業体験も想定した地域間交流による町づくりを進めている。

 いろんなアプローチで美郷の魅力を引き出し、情報発信する意味においては、必要なのは多くの目である。是非、いろんな方から実際に美郷に足を運んでいただき、その取り組みを見てもらうとともに、ご意見をいただきたいものである。

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